9.関西本線 再び
1971年(昭和46年)の夏は、日本の旅客用蒸気機関車の最高峰、C62重連が牽引する函館本線・急行 「ニセコ」 の最後に当たっており、中2の夏に小海線の撮影行に連れて行ってくれた鉄道仲間から誘われていました。しかし、この年は中学3年の受験生、一応、親には切々と訴えてみたのですが望みが叶う訳もなく、断腸の想いで諦めました。
この夏休みには、8才年下の妹が四国の叔母のところに預けられており、迎えに行ってくれとの話が舞い込んできました。そこで、これ幸いと夜行列車に飛び乗り、再び、関西本線の撮影行となりました。
いささか記憶が曖昧ですが、このときに乗った夜行列車は、東海道線・関西本線経由、奈良行きの臨時列車だったと思います。この列車には、どこかの宗教団体の大祭へ向かうと思われる多くの信者が乗っていました。
私の乗った車輌は、私以外の全員が宗教団体の人々で、揃いの法被(はっぴ)で頭には笠をかぶり、一種異様な空気が漂っていました。そんな特別な座席が何故私に回ってきたのか不思議でしたが、たまたまキャンセルが出たのかもしれません。
1971年当時の普通車には冷房などもちろんなく、発車して間もない頃はともかく、お年寄りの多い車内は深夜になると窓を閉め切るのでとても蒸し暑い。それに加えて、訳のわからない念仏のようなものを全員で唱え始める始末で、とんでもない目に遭いました。
そんなこともありながら亀山駅で下車し、早速、機関区へ向かいました。
集煙装置と重油タンクを装備する重装備のC57(亀山機関区)
手前に写っている集煙装置と重油タンクを取り付けた148号機は貨物列車を牽き、引き上げ線を亀山駅に向かってゆっくり動いています。その横を、旅客列車を牽いた別のC57が足早に追い抜いていくという、鉄道模型のレイアウト上でのシーンのようでした。2輌のC57が一枚の写真に収まるかどうか気が気でなかったんですが、一呼吸前でも後でも収まらない絶妙のタイミングで撮影に成功しました。
関西本線の亀山駅は紀勢本線の分岐点でもあり、関西本線ではC57を使っていなかったので、この2輌はいずれも紀勢本線での仕業に就いていたものと思われます。
この写真をどこで撮ったのか思い出せずにいたのですが、機関車のナンバーから亀山区に所属していたことが判明しました。最近は、ネットのおかげで色々なことが分かって助かります。
今回は短い記事ですが、きりが良いのでこの辺で・・・。
では、また。