2月4日から、怒涛の如く書き綴って来た 「鉄道模型シリーズ」 も今回で一区切りつけます。切りの良い40回で終わろうと思ったんですが、コンピューターの不調によって1回多くなってしまいました。
それにしても、約1ヶ月の間に41回の記事を書いたことは、我ながら驚きです。内なる何かに突き動かされたとしか思えません。
今回は、C59形とC60形にまつわる旅の想い出です。
我が家には、C60の写真が1枚だけ残っています。しかし、狙って撮った訳ではなく、たまたま写ってしまったようなもの。
撮影当時は憧れの蒸気機関車に夢中で、無意識にシャッターを切りまくっただけで機関車の形式への認識はありませんでした。もちろん、これが翌年には消えていく運命にあることなど露知らず。
これがその写真で、1969年(昭和44年)8月、中1の夏休みに母方の祖母の実家がある熊本県の天草へ家族で行ったとき、乗り換えのために下車した熊本駅のホームから撮影したもので、戦前型のC59から改造されたC60の16号機であることが確認できます。不鮮明な写真ながら、固定焦点でハーフサイズのバカチョンカメラ(当時は簡単カメラのことをこう呼んだ)で撮ったにしては上々ではないでしょうか。また、アルバム中の2L版写真からのリプリントということを考えると、まあ上手く再現できたと思います。
このときは、母と妹との三人旅で、東京発・熊本行きの寝台特急 「みずほ」 に乗り、熊本から三角線の気動車に乗り換えました。夜明け前、九州へ入った頃から蒸気機関車が散見され、車窓からも撮影していました。熊本駅での乗継時間は15分程だったと思いますが、その短い間に夢中でシャッターを切りました。隣のホームに座り込んで、機関区に佇む蒸気機関車を眺めている男の姿が印象的です。
当時、妹がまだ小学校に上がっていなかったので、母と同じ寝台を使うため、A寝台をとりました。A寝台なんて豪華な車両に乗ったのは、後にも先にもこのときだけです。
この頃の熊本行き3列車 「みずほ」 の編成は、電源荷物車カニ21/1号車(A寝台車)ナロネ21/2~4号車(B寝台車)ナハネ20/5号車(食堂車)ナシ20/6号車(B寝台車)ナハネ20/7号車(B寝台緩急車)ナハネフ23/8号車(A寝台車)ナロネ21/9~13号車(B寝台車)ナハネ20/14号車(B寝台緩急車)ナハネフ22、という20系軽量客車のオール寝台14輌、カニを加えて堂々の15輌編成です。
模型で再現するとこんな感じ。
上の写真は、KATOの20系初期 「あさかぜ」 7輌基本セットのナニ20とナロネ20なので、少し形が違います。私たちの寝台は1号車の先頭(写真左端)だったので、隣は電源荷物車カニ21。カニ21は先頭に車掌室を持ち、その後ろ、全長の半分以上が 250 kVAのディーゼル発電機を2基搭載する機械室で、車内の冷暖房他に使う電力は全てここで賄っています。更に後ろが5t積みの荷物室という構造になっています。
憧れのA寝台に乗ったのに、カニ21のディーゼルエンジンの音が結構耳障りでした。興味本位で荷物室のドアを開けてみると、物凄い騒音で、中学1年生ながら、この辺は改善の余地があるな、と生意気にも思った次第。
「みずほ」 を牽引する機関車は、東京・下関間 EF65、下関・門司間 EF30、門司・熊本間 ED73ということで、全て電気機関車でした。鹿児島本線の熊本以遠は未電化でしたが、東京発西鹿児島行きの 「彗星」 はDD51の牽引で、蒸気機関車は既に特急仕業から外されていたようです。
今回で鉄道模型関連のシリーズは一旦終了とします。AFV模型とは全く関係ない内容にもかかわらず、ご声援を戴いたブロ友の皆様に深く御礼申し上げます。
なお、このシリーズはNゲージ蒸気機関車が主体で、それに付随して旅の想い出を綴ったため、話が前後して解り難くなったのと、3月1日に発掘した古い写真で載せきれなかったものがあるため、旅の思い出話だけをまとめて再度記事にしたいと思います。
では、また。