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Channel: 村の模型屋のブログ
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鉄道模型 ㊴ : C59,C60(その2)

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  さて、次はマイクロエース製C59のご紹介です。

① C59-42(戦前型)【A9601 '98.04発売】
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  マイクロエースのC59は、結構、早くからリリースされていました。戦前型は、10-25台枠付きテンダーに板台枠台車を使用していました。
  予定していたKATOの製品が発売されなかったので、これがNゲージ市販品として初のC59となったそうです。















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機関車が戦前型ということで、客車の方も60系鋼体化客車からオハニ36をチョイス。

② C59-124(門鉄デフ)【A9605 '98.09発売】
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イメージ 5  本機は、1947年(昭和22年)の川崎車輌製で、1960年(昭和35年)にデフレクターを小倉工場製(門鉄デフ)に改造しています。マイクロエースのC59は多くのタイプが出ていますが、門鉄デフ付きはこれだけです。
  テンダーは、前の戦前型とは違う 「船底テンダー」 と呼ばれるものになっています。
  トレインマークは、東京・熊本間を走っていた特急 「みずほ」 。中学1年になって、初めて乗ったブルートレインが 「みずほ」 でした。











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特急 「みずほ」 ということで、20系ブルートレインの電源車、カニ21をチョイス。

③ C59-127(重油専燃機)【A9606 '98.09発売】
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イメージ 8  『127号機は、重油を燃料とするための試作改造を1954年(昭和29年)に施された。テンダーは石炭庫が重油タンクとなり、燃焼室も火格子を撤去するなど大規模な改造となった。改造後、直ちに準急 「ゆのくに」 専用機として、京都・米原間で使用された。専任の機関助士を置いて運用にあたり、他の石炭焚きの機関車に比べ圧倒的に楽な乗務で、なおかつ出力も増大したと高く評価された。東海道本線電化の後、盛岡機関区に転出し、東北本線の盛岡・一戸間で補機として試用されたが、ほどなくして廃車・解体された。』 【Wikipedia より転載】
  アメリカでは、早くから蒸気機関車の重油専燃化を行ってきましたが、燃料費が高くつくのか、日本では根付かなかったようです。
  トレインマークは 「さくら」 になっていますが、これは嘘っぽいので編成写真はなし。




④ C59-79(グリーン)【A9608 '98.11発売】
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イメージ 10  79号機はグリーン塗装の試験機になっています。この塗装で、どのぐらいの期間試用されていたのかは不明です。C59には、他にブラウン塗装試験機の67号機もありますが、グリーン、ブラウンともに、それぞれ1輌のみの試用で終わっています。
  実際の色と同じか否かも解りませんが、模型の色はもう少し暗いモスグリーンっぽい色です。蒸気機関車の色といえば日本では黒と相場が決まっていますが、欧米では赤、青、緑などカラフルなものがありました。
 グリーン塗装の本機がブルートレインを牽く図も良いかも知れませんが、いかにもなんで
43系客車の中からスユ42をチョイスしてみました。






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なかなか良い色合いじゃないですか?。

⑤ C59-19(グレー)【A4240 '99.12発売】
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  19号機は単品売りではなく、10系客車 「九州観光号」 7輌セットに付属のもの。
  「グレーじゃなくて黒じゃないですか?」 とツッコミを入れられそうですが、これ、セメントのような色味が気に入らなくて、自分で塗り替えたんです。
  グレーのC59というのは実際には存在しなかったようですが、手入れが行き届いて灰色に見えるほど磨かれていたという話が知られているため、それなら最初から灰色にということで製品化しちゃったみたいです。
  黒塗装には、当然、ハンブロールカラーを使っていて、テンダーなどに色むらがありますが、下地のグレーが透けていて汚れにも見えるので、これはこれで良しとしています。





― (その3)に続く ―

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