一昨日の3月3日は、愛犬ルナの誕生日でした。ルナは、2006年(平成18年)の雛祭りの日に生まれた女の子で、ちょうど10歳になりました。人間の年に直すと50代半ばのオバハンです。誕生日だからといって何をする訳でもありませんが、ルナも私も大好きなコンビニの肉まんを一緒に食べて祝いました。
さて、鉄模ネタの最後に残った蒸気機関車は、C59とC60です。
『C59形は、1941年(昭和16年)から1943年(昭和18年)までに100両、戦後の1946年(昭和21年)から1947年(昭和22年)までに73両の合計173両が製造された、幹線旅客列車用テンダー式蒸気機関車である。C59形はデビュー当初から特急の先頭に立ち、C62形の登場まで特急の花形で、C62形の登場後もお召し列車には本形式が充当された事からも解るように、現場の信頼も極めて高かった。
本形式は、動軸重が平均16.2tと特甲線である東海道・山陽本線以外では転用可能線区が少なく、一部は亜幹線にも使えるように従台車を2軸化して動軸重を15tへ減らす改造を受け、C60形となった。改造を受けなかった車両の一部は、東海道・山陽本線並みの線路規格を持つ呉線、鹿児島本線(門司港・熊本間)、東北本線(上野・一ノ関間)へ転じ、C60形となった車両は、乙線規格に従う東北本線、常磐線、奥羽本線(秋田・青森間)、鹿児島本線(鳥栖以南)、長崎本線の各線に入線し、引き続き、特急・急行列車牽引にも使われた。やがてこれらの路線も電化されたため、多くの車両がまだ十分に使える状態でありながら、C59形・C60形とも1970年(昭和45年)までに運用からはずされ、全機廃車となった。』
C59、C60ともに1枚ずつ写真が残っていますが、狙ったわけではなく、たまたま写ってしまったようなもので、撮影当時は無意識というか形式の認識はありませんでした。ですから、保存機も含めて見たことがないと言っても過言ではありません。
そんなC59とC60ですが、とてもプロポーションが整った機関車で、旅客用蒸気機関車の中で一番好きなカマです。大好きな機関車ですから、模型の方もC59が7輌、C60が2輌と最大勢力を誇っています。
先ずは、先日ポチった KATOの製品から。KATOのC59はこれだけで、他はC61も含めて全てマイクロエース製です。
昨年発売されたKATOのモデルです。戦後型は船底テンダーを採用した点が大きな特徴です。
これ、初回発表から 37年!も経って漸く発売されたようです。これまでにも、幾度かカタログに載っては落とされるというユーザーをバカにしくさったような経緯があるので、今回は大騒ぎせずにそっとリリースしたらしいです。
37年間待ちに待ったマニアには感涙モノだったでしょうね。37年っていったら、年輩のマニアの中には、冗談抜きで待ってる間に死んじゃった人もいるんじゃないですか。
この伸びやかでバランスの良いスタイルをご覧あれ!。全長は 21,575mm(戦後型)で、C62形の 21,475mmを上回り国産蒸気機関車中、最長を誇っています。
スマートなパシフィック(2C1)でありながら、適度にグラマラスなところが大好き。スレンダーすぎるC57でもなく、グラマーすぎるC62でもなく、やっぱりこのぐらいがちょうどいい。
この写真、1/150に見えますか?。模型寸法では、レール面からキャブ屋根の最上部まで僅か27㎜しかありません。ナンバープレート下の銘板やら表示なんか、肉眼では白い点や染みにしか見えませんよ。
キャブ下の配管類の密度間、火室と従台車の間に隙間が開かないこと、機関車本体とテンダーとの距離が近く実感的なことなどがKATOの技の冴え、ほんとお見事です。これ、ポチっといて良かったな~。
KATOは特定機をモデル化しておらず、ナンバープレートは幾つかの中から選択して取り付けるようになっています。今回チョイスした162号機は、呉線に最後まで残った3輌中の一つです。ナンバープレートのパーツは2×5㎜程度のサイズでして、それをランナーから切り出して一枚取り付けるだけでも一苦労なのに、前後左右で4枚もある・・・。
ボイラー上も、このとおり。
― (その2)に続く ―