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鉄道模型 ㉚ : C10,C11(その2) 旅の想い出

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  保存機も含めて、C10形の実機を見たことはありませんが、C11の写真はありますよ。

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  この写真は昭和45年(1970年)の年末、中2の冬休みに関西撮影行に行ったとき、山陰本線・福知山駅のホームから撮影したものです。C11等のタンク機関車は、大きな駅や操車場での入替作業に多用され、この写真のように、自身より大きな貨車を推したり牽いたりしているシーンをよく見かけました。
  この後、DD54が牽引する福知山線の快速列車に乗り、晩飯時に宝塚の叔母の家へ無事到着。人生初、夜行一人旅の長い一日目が漸く終わりを告げました。

  私が最初にC11を見たのは、小学4年生の時に母と妹3人で母方の祖母の実家がある熊本県の天草へ行ったときのことです。ブルートレインの 「みずほ」 に乗って東京へ帰るため、熊本駅のホームで待っていると、C11に推された 「みずほ」 が静々と入線してきました。

  続いては、1972年(昭和47年)夏、二度目の九州撮影行の際、日南線(日豊本線・南宮崎、志布志間 延長:88.9㎞)の青島駅周辺での写真です。 

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  貧相な棕櫚(しゅろ)が2本、南国らしさを醸し出しています(笑)。青島周辺は海に近いのですが、海を入れて撮るのは困難で、こんなつまらない写真しか撮れませんでした。
  日南線は列車本数が少なく、撮影効率の悪い路線でした。しかし、前夜泊まった宮崎のユースホステルで髭面の大学生鉄チャンと仲良くなり、翌日は彼のレンタカーに同乗して青島へ向かいました。上の写真のものも含め、彼と一緒に何本かの列車を撮影しましたが、あまり良い写真が撮れず、青島海水浴場でビキニのお姉さんたちを眺めたり(笑)、有名な 『鬼の洗濯板』 を見たりして1日過ごしました。

  次の3枚は、1973年(昭和48年)、高校2年夏の北海道撮影行で撮ったものです。

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  この写真は、日高本線(室蘭本線・苫小牧、様似間 延長:146.5㎞)の静内川の河口付近で撮影したものです。静内周辺は競走馬・サラブレッドの産地として有名で、このように馬のいる風景が見られました。

イメージ 4
前の写真よりわずかに北に寄った、静内川橋梁で撮影。

  余談ですが、このとき宿泊したのが新冠判官館ユースホステル。この 「新冠判官館」 って、何と読むか分かりますか?。知らない人は 「シンカンハンカンカン」 なんて読んで、何じゃこりゃ?ってことになるんです。「新冠」 は 「ニイカップ」 と読み、静内の北西に位置する隣町の名前。次の 「判官館」 は 「ホウガンダテ」 と読みます。
  「判官」 とは、九郎判官義経の判官で、幼名を牛若丸と称した源義経のこと。義経は平泉で討たれたことになっていますが亡骸が見つからなかったことから、後に北海道に渡って何年か過ごし、更には大陸に渡って蒙古に至り、ジンギス・カン(チンギス・ハーン)になったという伝説があります。
  日高本線を静内から苫小牧方面(上り方向)に辿ると、お隣の新冠駅を出てすぐに小さな川を渡り、続いて短いトンネルに入ります。トンネルの上は台地になっていて、海へせり出すような形の巨大な岩盤が行く手に立ちふさがっています。その岩盤の上に義経の館があったという言い伝えがこの地にはあり、その一帯が 「判官館」 と呼ばれています。
  新冠も馬の産地として名高いところで、ユースホステルの室名には、全て有名な競走馬の名前が付けられていました。私が泊まった部屋は 「タニノムーティエ」、大学1年生で競馬の知識など皆無の私には、それこそナンジャコリャ?でした。

  翌日は、地図を頼りに自ら選んだ撮影地、「絵笛(えふえ)」 に向かいました。絵笛駅は苫小牧から125㎞、終点の様似まであと21㎞という地点にあります。

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「絵笛」 というメルヘンチックな地名に相応しい、素晴らしいロケーションでしょ?。

  C11が牽く貨物列車の先、画面左端に見える小さな建物が駅舎です。駅舎といっても、数人入ったら一杯の待合室があるだけの無人駅。線路の手前側は、緩い傾斜の丘になっています。
  新冠からここへ来る途中の静内で買った駅弁を携えて丘を登り、頂上で弁当を食べながら列車を待つことにしました。駅弁を食べていると、後ろから 「ボリっ、ボリっ」 という音が聞こえ、しかも、それが少しずつ大きくなる・・・。
  何だろうと振り返ると、10mも離れていないところで大きな馬が草を食んでいました。ちょっとビックリしましたが、馬の方も食事に夢中でこちらを気にしてはいないようなので、私も無視して昼食を続けることに・・・。
  ここで初めて気付いたんですが、線路の手前の丘は全て放牧場だったんです。駅舎の奥に見える建物が牧場主の家で、この辺一帯は全て私有地のようです。挨拶もしませんでしたが、この写真を撮った後はそそくさと引き揚げました。

  またまた余談ですが、昭和40年代末のこの頃になると日本の高度成長期も一段落していて、内需拡大のため、国鉄は 『ディスカバー・ジャパン』 の旗印の下、国内旅行の大キャンペーンを張っていました
  日高本線の終点、様似の先には有名な襟裳岬があります。襟裳岬へ行くには、様似から国鉄のバスに乗り換えて行くんですが、急カーブが多いなど道路事情が良くないのでバスは定員厳守。乗客が多ければバスを増発するというシステムになっていました。
  日高本線の列車に乗っている乗客の多くは襟裳岬へ行く観光客なので、車掌が乗客一人一人に 「襟裳岬へ行きますか?」 と事前に訊いて回り、バスに乗り換える人数をカウントしていました。私の番になって 「絵笛で降りる」 と言うと、ちょっと怪訝そうな顔をしました。案の定、絵笛で下車したのは私一人でしたが、他の乗客は 「こんなところに何かあるのか?」 という顔でこちらを見ていました。

日高本線の災害
  『2015年(平成27年)1月8日に起きた高波による土砂流出の影響で、日高本線 鵡川駅・様似駅間が不通となっている。2015年8月17日現在、列車が運行されているのは苫小牧・ 鵡川間(下り8本・上り9本)のみで、鵡川・ 静内間(下り8本・上り7本)及び静内・様似間(6往復)は代行バスが運行されている。代行バスは静内駅において系統分割されており、静内駅で乗り継ぎが可能なのは下り3本・上り2本(8月17日以降)のみである。
  JR北海道は鉄道総合技術研究所のコンサルティング報告に基づき、根固工の施工や消波ブロックの設置などのほか、護岸改築などの抜本的な対策が不可欠だと判断。同年4月28日に概算工事費と必要工期について2案を発表した。しかし、同年9月12日の台風17号の影響で、豊郷・清畠間および厚賀・大狩部間でさらなる路盤流出が発生した。』 【Wikipedia より転載】

  恥ずかしながら、この情報については今の今まで知りませんでした。この状況では、想い出の日高本線が完全復旧する可能性は薄いようです。
― (その3)に続く ―

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