さて、日本鉄道史上、最大・最強の蒸気機関車C62の次は、小型タンク機のC10形とC11形です。我が家の在庫は、おなじみのマイクロエースの製品のみで、C10形、C11形ともに1輌ずつです。
1.C10形
『第一次世界大戦終結後に深刻な不況に陥った日本は、1920年代には能力不足と老朽化が顕著になった明治時代製のタンク機関車の代替に迫られたが、不況のせいで経済性や効率性を重視した機関車を製造することが求められた。そこで、都市近郊旅客列車用として製造されたのがこのC10形で、1930年に全23両が新製された。C10形軸重がやや大きく、地方線区での使用に難があったため、以後の増備は軽量化を施したC11形に移行した。』 【Wikipedia より抜粋】
C10形の実機は見たことがないので、Wikipedia の写真を転載しておきます。
C10形は、ボイラー肩部分に重見式給水加熱器(長いパイプ状のもの)を装着し、本形式の特徴となっていましたが、使用成績が思わしくなく、後に撤去されています。現在、大井川鉄道で動態保存されている8号機↓(Wikipedia より転載)は撤去後のスタイルですが、こうなるとC11との識別が難しくなります。
上から見ると、重見式給水加熱器とそのパイピングが良いアクセントになっているのが良く解る。
2.C11形
『C11形の設計に当たっては、水タンク・石炭庫・運転室など薄鋼板を使用する部分について構造の見直しと工作法の工夫が行われ、これにより運転整備重量をC10形比で約5%の削減となる66.05t、動軸重で最大12.5tの範囲内に収め、C10形と比較して入線可能線区を大幅に拡大することに成功した。本形式は不況期の輸送需要減少を背景として開発された機種であるがコンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年)までの16年間に381輌が生産された。生産時期によって1~4次までのバリエーションがある。』 【Wikipedia より抜粋】
『207号機は、1941年(昭和16年)12月26日に製造された。日高本線に入線の際、濃霧が多い線区であったため、前照灯が2灯化改造され、「二つ目」 又は 「カニ目」 と呼ばれた。
1975年(昭和50年)に長万部で廃車となったが、2000年(平成12年)より動態保存機として復活し、「SLニセコ号」 を中心としたイベント列車の牽引に当たっていたが、2014年(平成26年)11月の札幌・小樽間での団体臨時列車を最後に、道内での運用から退いた。今後は、東武鉄道が借り受け、2017年度(平成29年度)より、東武鬼怒川線の下今市・鬼怒川温泉間で運行する予定である。』 【Wikipedia より抜粋】
二つ目のヘッドライトと片流れのスノウプローがお洒落?。因みに、本機は3次型。
バック運転がお得意なタンク機は、こんなシーンもよく見られましたよね。
客車を牽かせてみました。う~ん、やっぱり屋根が高い・・・。
逆向きにすれば幾らかマシか?・・・。
このような小型の機関車は、動力ユニットが大きいマイクロエースとしては最も苦手とするところですが、対抗馬がもっと大きい(1/135程度)KATOのC11しかなく、他社との比較では、今のところマイクロエースの勝ち?・・・。
― (その2)に続く ―