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鉄道模型 ㉗ : C61

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  天気予報では、寒波が南下し、また真冬の気温に逆戻りするといっていましたが、今朝6時にゴミ出しに行ったときの気温は6℃。流石に、車が凍りついているようなことはありませんでした。
  気が付いてみれば、鉄模ネタも間もなく30回にならんとしていますが、もう少し回を重ねそうです。今月中に一先ず終わるかと思ったんですが、それも幾分、来月にずれこみそうです。

 今回は、急行旅客列車用大型蒸気機関車のC61形です。C61形と次にご紹介するC62形は、戦後の旅客需要増大に対応するため、貨物用蒸気機関車から改造されたという共通点があります。我が家の在庫は両形式とも仲良く2輌ずつで、毎度おなじみのマイクロエース製。

  『戦後、旅客輸送需要が急増し、戦時中製造がストップしていた旅客用機関車が急激に不足したため、国鉄は戦前に製造していたC57形、C58形、C59形の追加製造を行うことを決定した。しかし、GHQの許可なしに新造ができなかったため、実際に新造できた両数は少なく、機関車不足を解消することができなかった。その一方で終戦により貨物輸送需要は逆に激減していたことから、苦肉の策として、余剰となっていた貨物用機関車のD51形、D52形を、旅客用機に転用改造することとなった。
  C61形は、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて、D51形のボイラーを流用して計33両が製造された。本形式はD51形の改造名義ではあるが、流用したのはボイラーと一部の部品のみ。さらに、主に改造に回されたのは太平洋戦争末期に製造された品質が悪い車両であり、中にはボイラー流用は名目のみで新しいボイラーを製造した、完全な新造に近い車両もあった。走行部はC
57形をベースに設計されているが車重は増加した。C57の代替として製造された経緯から、同型式が入線する線区に適応する水準に軸重を軽減するため、従輪を設計変更して2軸台車とし、2C2型の 「ハドソン」 と呼ばれる車軸配置となっている。
  C61形と同時に改造が進められていたC62形は、やはりハドソン型軸配置を採用しているが、こちらは途中で労働争議のために完成が遅れ、先にC61形が完成したため、本形式が日本初のハドソンとなった。』 【Wikipedia より抜粋】

イメージ 1

イメージ 2
C61-6(九州型初期タイプ)【A6002 '01.02発売】
  車高が高くなるのはマイクロエースの常で仕方がないんですが、それに合わせて旅客用より短めのD51のテンダーを縦方向にのみデフォルメしたため、相当イメージの違うものになっています。テンダーだけでも何とかしたいところなんですが・・・。
  6号機は、1948年(昭和23年)10月18日、D51-1134を種車として三菱重工業で改造され、鹿児島本線などで使用されました。トレインマークは、東京・鹿児島間の寝台特急 「はやぶさ」。同列車は、1958年(昭和33年)10月1日に運行を開始し、半世紀後の2009年(平成21年)3月14日に廃止されました。


イメージ 3
「はやぶさ」 初期の編成に使用された10系客車を牽かせてみた。

イメージ 4

イメージ 5
C61-11【A5250 '02.02発売】
  2002年発売のC61・44系 「はつかり」 基本7輌セットに付属のもので、単品売りはなし。
  昭和30年頃、東海道・山陽本線では車両の近代化とスピードアップが進められる中、東北方面には戦前の水準のままの急行列車だけであったため、東京方面と北東北及び北海道間の連絡列車の一翼を担う東京以北初の特急 「はつかり」 が1958年(昭和33年)10月10日、上野・青森間で運転を開始した。
  1960年(昭和35年)12月9日までは、蒸気機関車+客車の編成で運行され、上野・仙台間はC62形、仙台・青森間はC61形が牽引し、盛岡・青森間ではC60形が補機についていた。客車は、京都・博多間の特急 「かもめ」 に使用されていた44系を中心に投入され、20系客車のイメージに合わせてブルーに2本の白線塗装に変更された。


イメージ 6
「はつかり」 仕様の44系客車(スハニ35)を牽かせてみた。

  それにしても、昭和33年からたった2年だけですが、客車時代の 「はつかり」 って日本のハドソン3形式全てが牽引していたんですね。C62からC61へ本務機の付け替え、前部補機(C60)の連結とSLマニアにとってはヨダレもの、Nゲージで是非再現したいものですね。

  さて、実機の写真は1枚だけ・・・。

イメージ 7

  この写真は、1972年(昭和47年)夏、二度目の九州撮影行の際、日豊本線・高鍋駅北方の小丸川橋梁で撮ったものです。完全にシルエットになっていて、昔の写真を引っ張り出してきた当初は何だか解らなかったんですが、機関車側の車輪が先輪2・動輪3・従輪2(2C2:ハドソン)の順に並んでいることと、ボイラー上のドームの形からC61形であることを確認しました。
  33輌製造されたC61形ですが、1971年には青森機関区に6輌しか残っておらず、同年秋には全機が宮崎機関区に転属となり、日豊本線・延岡、南宮崎間の平坦線区間で旅客列車や貨物列車の牽引に当たっていました。この日は、早朝、夜行列車で高鍋に着き、ヘトヘトになっていまして、この写真を撮った後手前の砂利浜に大の字になり、背中が痛いのも構わずに暫し微睡(まどろ)んでしまいました。
  その晩は宮崎泊まりで、市内の大淀川橋梁でもC61形を撮影したような気もするんですが、記憶が曖昧で写真も残っていません。また、機関区のある南宮崎駅でもC61形を見かけた記憶はありません。
では、また。

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