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鉄道模型 ㉑ : C53,C54

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  今日(土曜日)は、朝のうちは晴れ間もありましたが、昼前から曇り出し弱い雨も降ってきました。今夜は地区の総会があるんですが、それまでの間、酒々井の千葉鑑定団でも覗いてこようかと思ってました。千葉鑑定団酒々井店には、Nゲージ鉄道模型も少し置いているんでね(テヘヘッ・・・)。
  で、昼飯後に出かける予定にしてたんですが、天気予報を見ると、途中の多古町、芝山町に暴風警報と大雨・雷・洪水注意報が出てる。うかうか遊びに行って、地域の行事に出られなくなったらコトなんで中止。これは、「貧乏人が無駄遣いするなよ」 という天の声だろうと理解したけど、明日は行ってしまいそう・・・。

  今回の鉄模ネタは、実機を見たこともないC53形とC54形で、どちらもマイクロエースの製品です。

1.C53形
  『旅客輸送需要の増大、列車速度向上などの要求を背景に、1926年(大正14年)、当時、世界的な流行だった3シリンダー方式の8200形(後のC52形)をアメリカから6輌輸入した。その結果を見て、1928年(昭和3年)から1930年(昭和5年)にかけて3シリンダ方式初の国産機として97輌製造されたのがC53形である。早速、東海道本線、山陽本線の旅客列車の主力として活躍したが、3シリンダーの保守点検や修理に手間がかかり、また後継機の出現や電化などの影響により、1950年(昭和25年)には全車が廃車となった。』 【マイクロエースの説明書より転載】

イメージ 1

イメージ 2C53-45(デフなし) 【A7002 '01.12発売】
  45号機は、廃車後、鷹取工場の片隅に放置されていたものを修理して1961年(昭和36年)から大阪の交通科学館で展示されていました。現在は、梅小路蒸気機関車館で静態保存されています。
  この後のC54と同様、動力ユニットの大きなマイクロエースとしては苦手な部類の機関車だと思いますが、見たことがないのでさほど違和感は感じません。










イメージ 3






  客車を牽かせてみました。昭和初期のスーパースターC53に合わせて、客車もスハ32系Wルーフの二等車(現在のグリーン車)、スロ33です。実際には、機関車の次位にいきなり二等車がくることはないと思いますが、まあ、優等列車っぽくするためにね・・・。

イメージ 4
配管類が別パーツになっているなど、1/150 とは思えないようなダイナミックさがあるでしょ?

2.C54形
  上のC53同様、見たこともない形式の機関車です。
  『C54形は線路規格の低い亜幹線区間で使用するため、C51より重量や軸重を減らして設計され、1932年(昭和7年)、17量が製造された。仙台、高崎、宇都宮などに配置されて旅客列車を牽引したが、軸重の軽さが裏目に出て、仕様、性能が中途半端であったため現場では敬遠された。太平洋戦争中には全機福知山に集められたが、部品の不良による故障が多発したため、一時、全機休車となった。その後、更新修繕されて1963年(昭和38年)10月まで山陰地区で使用された。』 【マイクロエースの説明書より転載】

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C54-9(標準型) 【A6701 '02.02発売】 正面写真省略

イメージ 9

  C54は一応、C51の後継機ということなので、前にご紹介したC51-285(本省式給水加熱器装備) 【A6601 '00.10発売】 を並べてみました。C54は、ボイラー上のドームの間隔がC51より狭くなっているのが解ります。この後のC55では、2つのドームが一体になります。C54っていうのは、要するに過渡期の設計なんだな。

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イメージ 7C54-3(回転式火の粉止め装備)【A6702 '02.02発売】



















イメージ 8
32系Wルーフの三等車(現在の普通車)を牽かせてみました。

では、また。

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