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鉄道模型 ⑮ : C58

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  昨日の日曜日は、未明から強雨と強風に見舞われましたが、昼頃からは晴天となり南風が吹いて気温がぐんぐん上昇し、当地でも20℃を越えたようで5月ごろの陽気でした。しかし、今日は一転して0時の段階では17℃でしたが、正午が9℃、午後9時には4℃まで下がり、また真冬に戻ってしまうようです。
  昨日の午後、雨は止んだものの風が強く、結局またも引きこもり・・・。

  今回の鉄模ネタはC58です。ローカル線用の客貨両用テンダー式蒸気機関車で、8620型の速度と9600型の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計されました。1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて国鉄向けとして427両が製造され、全国で活躍しました。

イメージ 1

イメージ 2  我が家の在庫は写真のKATO製品のみ。
これがリリースされたのは1990年で、もう25年も前のこと。
  古い割にはプロポーションも良く、結構良い出来と思いますが、当時の KATOスタンダードの 1/140で設計されているため、デカい!。














イメージ 3

  客車を牽かせてみると、ご覧のとおり、キャブ屋根が客車のそれより高いことが解ります。おそらくファインスケールのC57と同じぐらいの大きさがあり、ローカル線用の中型機というより幹線用大型機の風格があります・・・。しかし、テンダーがあるおかげで屋根の高さもごまかせますし、全体的なまとまりも良いんで、これでヨシとしています。

― 旅の想い出 ―

  私が最初に目にしたC58は撮り鉄を始めた小学6年生、夏の八高線でした。しかし、そのときのカラー写真は既に無く、次に再会したのは中学2年の冬休み、関西方面への撮影行のときでした。

イメージ 4

  上の写真は、福井県敦賀市の北陸本線敦賀駅と京都府舞鶴市の東舞鶴駅を結ぶ小浜線の東舞鶴・松尾寺間で早朝撮影したC58が牽く旅客列車で、C58の写真で残っているのはこれだけです。

  これが人生初の本格的一人旅で、出発前から心躍らせていました。昭和45年(1970年)の暮れ、東京駅から山陰本線のどこかへ向かう夜行急行列車(行先、列車名ともに失念)に乗り、綾部乗り換えで東舞鶴へ向かいました。まだ14歳の少年の一人旅とて、親は心配して 『人を見たら泥棒と思え』 的なことをいわれましたが、夜行に乗り合わせた若いサラリーマンがとても良い人で、私としては 『人を見たら友達と思え』 と心に刻んだ次第。
  年末年始の寒い時期とあって、父はカイロを持たせてくれました。カイロといっても今のように揉むだけで発熱するような簡単なものは未だなく、ピカピカ輝く鏡面仕上げの金属ケース(縦横20㎝×15㎝、厚さ2㎝程度)の中にアルコールを含ませた綿と白金触媒が入っていて、それに火を点けてゆっくり燃焼させるもので、この金属ケースを更に布袋に入れて使うという大がかりなものでした。で、写真の撮影ポイントに着いてからマッチで火を点けようとしたんですが、低温と風のせいで、なかなか点火できなかったことを覚えています。
  それと、今のように24時間営業のコンビニなんてない時代ですから、早朝の到着だと朝食にありつけないことがありました。当時、旅行中の朝飯は、駅弁、駅そば、駅の売店、駅前食堂に頼るしかなかったんですが、早朝だとたいてい開いてない。これも旅行好きだった父の知恵ですが、ご飯の缶詰を持って行けと教えられました。ご飯の缶詰は今でも防災用品コーナーなどで売っていますが、五目飯、鶏飯、カレーライスなどがあります。出発前に沸騰した湯で十分煮ておいたら、翌朝、まだ暖かかったです。

  この撮影行は、一人旅とはいえ宿泊は宝塚の親戚の家。第1日目は、東舞鶴と山陰本線福知山駅での撮影の後、福知山線のDD54の牽く列車で宝塚へ向かいました。

では、また。

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