鉄道模型の記事を書き始めたら、訪問者が1割強増えました。Nゲージといっても、最近の高性能でカラフルな車輌とは違い、40年以上も前の地味ぃ~な車輌のコレクション。でも、私と近い年代で共感を覚えておられる往年の 「鉄っチャン」 も結構いらっしゃるようで・・・。
それでは、また、マイクロエースのセットものコレクションから、気になるもののいくつかを・・・。
3.国鉄後藤寺線 D60+ホキ4200+ヨ3500 10輌セット(マイクロエース 2004年発売)
昔、九州の後藤寺線で走っていた石灰石輸送専用列車。石炭輸送が中心だった筑豊では、希少価値の列車であったとのこと。
特筆すべきは牽引機のD60で、九州の蒸気機関車に特有の門デフ(門司鉄道管理局考案のデフレクター [ボイラー前部の両サイドに付く整流板] )を装備。門デフ付きのD60は、本セットに付属するこれだけ。
門デフって、C55やC57のようにボイラーが細くて軽快な感じの機関車には似合うけど、D60や9600のようなマッチョな感じの貨物用機関車には似合わないよな~。
4.C51-266+ワキ1+ワムフ1 宅扱い専用列車8輌セット(マイクロエース 2005年発売)
宅扱い:かつては特別小口扱いと称した。小口扱い、瓲(グラムトン)扱い、貸切扱いに対して、贈答品などの少量の貨物に適した扱いで、荷送り人の宅から発駅までの集貨及び着駅から荷受け人の宅までの配達が、別料金を取られずに、かつ迅速に行なわれた。ただし、集貨および配達のいずれも、駅から約 6km 以内の地域内であった。また、この扱いの貨物は輸送列車が定められて特に急送されるので、急ぎの品物、腐敗しやすい物などに便利であった。[Wikipedia より抜粋]
つまり、現在の宅配便と同じようなサービスを鉄道が担っていたということで、今のように道路が整備されておらず、鉄道が最も輝いていた時代のモニュメントの一つですね。
余談ながら、皆さん 「チッキ」 という言葉をご存じでしょうか?。小学生の頃、夏休みは決まって親戚の家に預けられていて、始めは数日分の着替えだけ持っていき、その後、自宅から何回かに分けて荷物が届く。しかし、帰りは1ヶ月の間に膨れ上がった荷物を一度に送り返すことになる。段ボール箱2つ分ぐらいの荷物を叔母が駅に運び、「これ、チッキでお願い・・・」 と駅員に声をかけていました。
この 「チッキ」 という言葉がどういう意味なのか謎だったんですが、誰に尋ねることもなく、長い間忘れていました。でも、最近、突然思い出して検索してみると、長年の謎が氷解するとともに、記憶の穴が塞がりました。
チッキとは、陸海の運輸業者による「託送手荷物」のうち、鉄道による手荷物輸送、またはその手荷物、もしくはその預り証のことである。手荷物の預り証を示す英語の 'check' (チェック・チェッキ)からチッキと呼ぶ。JRの前身である国鉄で、最寄り駅で受発送の手続きをしていた鉄道小荷物や託送手荷物、または鉄道小荷物の受発送を指した。
鉄道の発達とともに、乗客とは関係なく輸送される小荷物の取り扱いもなされるようになり、次第にこちらのほうが比重を増し、小口の荷物や要急送品、新聞や週刊誌等の輸送手段として定着していった。荷物専用列車の時刻は一時期、市販の旅客用時刻表にも時刻が掲載されていた。
明治時代から長年、郵便小包とともに小口荷物輸送の一翼を国鉄が担っていたが、1970年代に入ると国鉄と労働組合との関係が悪化、激しい労働争議が頻発した。これが荷主からの信頼を失う結果となる。1976年(昭和51年)にはヤマト運輸が 「宅急便」 の名称で宅配便サービスを開始したことにより取り扱い個数が減少に転じた。これに対抗するため1982年(昭和57年)には集配サービスを付加した 「宅配鉄道便Q」 を開始し、1985年(昭和60年)にはさらに取次店での荷物引受サービスを加えた 「ひかり宅配便」 の取り扱いを開始したものの凋落に歯止めはかからず、1986年(昭和61年)には鉄道小荷物サービスが廃止された。[Wikipedia より抜粋]
で、この列車の先頭に立つのが、前にもご紹介したコイツです。
本省式給水加熱器装備、デフなしタイプの C51-226で、これも本セットにしか入っていません。かつては国鉄を代表する超特急 「燕」 の先頭に立った本機も、晩年は貨物輸送かと少し残念な思いを感じるのも確かです。しかし、急ぎの荷物や腐敗しやすいものを運ぶための特別列車ということで、その韋駄天ぶりを買われたと思えば、男の花道というか有終の美を飾るに相応しい姿ではなかったでしょうか。
あ~、また疲れてきちゃったんで、(その3)に続く