前の記事で進駐軍の指令によって制定された 「ぶどう色二号」 のことを書きましたが、ぶどう色二号というのはこんな色です。ミルクチョコレートの色といわれれば、確かにそうですね。
これはEF59の1号機。保存車輛のようですね。 [Wikipedia より転載]
今年還暦を迎える私でも、この色は記憶にあります。小学生の頃、総武線の緩行電車(各停)は未だこの色でした。
閑話休題、今回の本題に戻ります。
スハ32系極初期型模型の画像に出会ったら、早速、これを牽かせる機関車は何がいいかということに思いを馳せてしまいました。スハ32系客車は昭和4年から製造が始まっているので、その先頭に立つのはやっぱりコレっ!。
[Wikipedia より転載]
大正生まれの名機C51です。C51形蒸気機関車は、国鉄の前身である鉄道院(1920年、鉄道省に改組)が1919年に開発した幹線旅客列車用の大型(のちには中型)テンダー式蒸気機関車で、諸外国の高速機関車に用いられた 「パシフィック形軸配置」(2C1=先輪2軸、動輪3軸、従輪1軸)を国産設計の蒸気機関車としては初めて採用し、それまでの旅客用蒸気機関車とは一線を画す堂々とした機関車でした。
[Wikipedia より転載]
これは青梅鉄道公園に静態保存されているC51です。生きているC51を見たことはありませんが青梅の保存機は2回、見に行きましたよ。
で、これが我が家のNゲージC51コレクションです。いずれもマイクロエースの製品で、手前から本省式、住山式、本省式(デフなし)の3輌。
これは本省式(デフなし)のサイド。本省式とか住山式というのは、煙突の後ろに装備された筒状のもの(給水加熱器)の呼称で、要はサブタイプといったところ。
給水加熱器とは、機関車の後部に繋がるテンダー(炭水車)から供給される水を蒸気の熱で温めるための装置です。この装置は後年本省式に一本化され、装着位置が煙突の前や全部デッキ上など多少変化しますが、その後に製造された全ての蒸気機関車に装備されることになります。
誕生時のC51には18900という形式名称が与えられており、当時は給水加熱器のないすっきりしたフォルムだったようです。上の製品写真は、4枚上の実車の写真に比べると大分腰高な感じに見えますが、これは大きめなモーターやギアボックスを組み込んだウェイトをクリアするために致し方ないこと。
車体のバランスを重視して設計すると機関車本体を大きくせざるを得ず、スケールオーバーになってしまいます。この問題はNゲージの日本型蒸気機関車全てに共通するもので、Nゲージの一方の雄、KATOのモデルはバランス重視の設計を採っているため、スケール的には1/140ぐらいになっていると思います。
またまた長くなりそうなので、(その2)に続く