T49オールスチールキャタピラがどの程度使われていたのか?ということが気になって、前出の『月刊グランド・パワー』誌のシャーマン特集から拾った実写フォトを例によって無断転載します。なお、本記事に掲載する写真はキャタピラが良く解るよう、トリミング等の後加工を行っていることをお断りしておきます。
陸作戦時の有名な写
真で、米・第1機甲師
団第13機甲連隊のM
4。
第5軍直轄の独立戦
車大隊、第751戦車
大隊所属のM4A1。
イタリア戦線では、米
軍も迷彩塗装を施し
ています。
三色迷彩のように
も見えますが、カラー
リングについては説
明なし。白っぽく見え
るところは、多分、泥
汚れなので、ODと黒
の二色迷彩でしょう
ね。
線の一コマで、アルノ
川を渡河する米・第1
機甲師団のM4A1。
域、ペリリュー島アン
ガウルに上陸した第
763機甲大隊のM4。
車体は前部が鋳造、
後部が溶接のコンポ
ジットボディー。
ットボディーの保存車
輌。
この他、写真は割
愛しましたが、太平洋
戦域で海兵隊が使っ
ていたM4A2には、T
49を履いているもの
が結構あります。
米軍シャーマンの写真はこれだけです。イタリアと太平洋戦域のものばかりで北西ヨーロッパ戦域における米軍の写真には、T49を履いているものは見当たりません。もっとも、キャタピラが泥だらけで判別不能なケースもありますので、確かなことは解りませんが。
何故、こんなことを書くかというと、次のような話を聞いたからに他なりません。
即ち、『駆動力向上を図って開発されたT49は、前後方向の駆動力は確かにアップしたものの、横方向の機動では横滑りが起こる。そのため米軍は、路面が凍結する冬季の北西ヨーロッパでは使えないと判断し、T49の使用を取りやめて他の形式のものに順次交換した。』 というものです。1944年12月のアルディンヌの戦い以降の写真に、T49を履いているものが見られないことからも、この説が裏付けられているような気もします(私の邪推かも知れませんけど)。
次は、米軍以外の写真です。
戦における英・RTR
第46大隊のシャーマ
ンⅢ(M4A2)。
こちらも、アンツィオ
戦においてドイツ軍の
反撃を受け、擱座して
放置されたシャーマン
Ⅲ。
から攻略すべく、1944
年6月13日に開始さ
れたエプソム作戦時
に撮影された、英・第
27機構旅団イースト・
ライジング・ヨーマンリ
ー連隊のシャーマン
Ⅲ。
写真。1945年4月、ベ
ルリン市内に進出し
たM4A2[76]W。
と、まあ、モケジイの超アバウトな調査結果ですが、次の結論が得られました。
① 米軍のM4A1[76]WにT-49を履かせるとすれば、太平洋戦域には長っ鼻の
A1は行っていないので、舞台はイタリア戦域に限られる。
② 英軍のM4A1[76]Wは、兵站の都合で北西ヨーロッパ戦域には送られなかっ
たので、これまたイタリア戦域のみ。
③ 北西ヨーロッパ戦域でM4A1[76]Wを使用したのは自由ポーランド軍のみで、
インストの塗装例、2nd Armored Rgt., Polish 1st Armored Div., Holland 1944 がこ
れに当たる。
③のプランはデカールを他所で使ってしまったんで、今回の作品はキット付属のT-49を使用した上で方針を変更し、①又は②でいくしかなさそうですね。それで、当初予定してた米・第2機甲師団、というか 「コブラ作戦」 で初めてドイツ戦車と撃ち合
った長っ鼻のA1は、タミヤのM1スーパーシャーマンの素組みっていうことで幕引きですね。でも、気になる足回りには手を入れるんだろうな~。
ところで、タミヤは、初のA1を何故IDFのものにしちまったんだろうか?。IDFバージョンと言ったって、キットではサイレンガードに屋根が付いただけ。
これなら、サイレンガードのみ別部品にして、米軍、英軍、自由ポーランド軍、イスラエル軍のデカールを付けた方が売れるんじゃない?。王様はそんな姑息なことはしない、っていうことか?。
では、また。