さて、ここからは稿を改め、ミツビシ製の車の話などを・・・。レンタカーも含めて私が乗った三菱車の想い出話にお付き合い下さい。
1.ギャラン(サブタイプ不明)【レンタカー】
昭和が終わる年(1988年)のある日、仕事が山積みで一人で遅くまで残業していたんです。今日はこの辺で終わりにして帰ろうかと思ったところ、急に睡魔が襲ってきて30分ぐらい居眠りしていたら0時を回ってしまい、終電に間に合わなくなりました。仕方なしに、このまま会社に泊まろうかと一旦は思ったんですが、仕事を再開する気にもなれずタクシーで帰宅することにしました。
当時、会社のある六本木から中野の自宅までのタクシー代は、深夜料金を含めると 4,000円程度で、もちろん自腹。やっちまったな~と思いながら、駅に向かってトボトボ歩いていると近くのニッポンレンタカーが未だ開いていて、何気なくそちらに目をやると、「トワイライト・レンタカー」 という幟が眼に入りました。
トワイライト・レンタカーって何?と思って店に入ると、午後9時以降(だったか?)、借り手のない車を翌朝8時までに限って格安で貸してくれるとのこと。値段を尋ねてみると、なんとタクシー代より安い!。当時は家の建直しをしていて仮住まいでしたが駐車スペースはあるし、家まで往復24㎞程度だからガソリン代はいくらでもない。よし!っと即決して借りたのがギャランで、三菱車との初の出会いでした。
当時のギャランはこんな感じ。 【goo自動車カタログより転載】
ギャランのファーストインプレッションはというと、全体的にカチっとした硬派な感じで、「良くできた車だな~」 という印象でした。家に帰る前に腹ごしらえと思い、いつも通っていた駅前のスナックに寄ると、これまたいつもの飲み仲間がたむろしており、「今日は遅いんですね」 と言うから訳を話したら 「じゃぁ、ギャランでナイトドライブに行きましょうよ」 と悪魔のお誘いが・・・。
その頃のマイカーはトヨタのスターレット(1.3L)でこんなに立派な車じゃなかったし、家も仮住まいで狭かったし、仕事のストレスも溜まっていたので、ついつい 「ほんじゃ行くか~」 ってことに・・・。で、同年代の飲み仲間4人で横浜へ向かってGO・・・。
夜明け頃に戻って家で暫し休憩した後、出勤。まあ、若かったから出来たんだな~。
2.Hyundai Lantra (ランサー)【レンタカー】
平成6年頃の5月、懸賞好きの元妻がオーストラリアツアーを当てまして、豪州西部のパースへ行くことになりました。懸賞に当たったとはいってもタダで行ける金賞ではなく、一人10万円ぐらい払う銀賞でした。最近の格安ツアーに比べると少々お高い感じですが当時としては安かったし、だいたいパースのツアーなんてその頃はあまりなかったですよ。
オーストラリアは英国圏の国なので交通ルールは日本と同じで、車は左側通行で右ハンドル、道路標識もほぼ同じ(っていうか日本が英国のルールを採用した)。この際、「外国の街をレンタカーでドライブするのもいいか」 と大胆にも思っちゃいまして、早速、国際免許証を取得(といっても、お金を払うだけ)しました。
そのツアーは添乗員同行だったんで、「車を借りたい」 と言うと探してくれました。ホテルの部屋で暫し待っていると電話が鳴って、「今日は母の日なので車を借りる人が多く、韓国のヒュンダイっていうメーカーの車しかないんですけど、それでも良いですか?」 と添乗員様が仰る。当時の現代(ヒュンダイ)自動車は三菱自動車が技術供与していたんで、それなら大丈夫だろうとOKしました。そして、やって来たのが 「Lantra:ラントラ」 という車。
たぶん、三菱ランサーのデッドコピーですな。 【Wikipedia より転載】
上の写真は当時のランサーですが、ホラっ、瓜二つでしょ。運転してみると、カッチリしていて乗り心地も良いし、エンジンは良く回るし、韓国の車というより三菱の車そのもの。この車でパースの街中をドライブしたり、港町フリーマントルに行ったり、郊外の水族館へ行ったりしました。
因みに、パースはオーストラリア連邦西オーストラリア州の州都で人口150万人超。この数字は都市圏人口で、パース市のみの人口は約 9000人。オーストラリアでは第四の都市。
商業都市らしい街自体は特に面白くもないんですが、中華街で食べた海鮮料理は絶品でした。中華街の入口に 「富豪海鮮酒家」 という看板を掲げ、店の前の水槽には伊勢エビがウヨウヨという、いかにも高そうな店がありました。日本ならこういう店は敬遠するんですが、当時は超円高(1ドル80円)だったので迷わず入店。
オーストラリアの食べ物はなんでもデカいので、メニューの中から伊勢エビの炒め物、海鮮の炒め物、フカヒレのスープの三品をチョイス。それでも料理が来てみると、二人で食べきれるのかと思うぐらいの大きさで、いくつも料理をオーダーしなくて良かったと思った次第。しかも、お会計はというと、オーストラリアは元々食費が安いのと超円高のおかげで、二人分で 4,000円にならない!。
で、お味の方はというと、子供の頃から中華料理好きで、中国人の友人ができてからというもの、国内外いたるところで食べ歩いた私としても、パースで食べた海鮮料理が一等賞。できるものなら、また食べに行きたい一品です。
フリーマントルはパースから南西19km、開拓時代に建てられたコロニアル調の建物が立ち並ぶ美しい港町でした。日本の南極観測船が往路、復路ともに寄港するところです。今回のツアーは中二日がフリータイムでしたが、一日目に行ったときに買ったチーズが忘れられないぐらい美味しくて、二日目にもまた買いに行ってしまいました。
水族館はどこにあったのか忘れましたが、パースから100㎞ぐらい離れたところだったような・・・。この水族館、今では当たり前になりましたが水槽の中に設置されたチューブから見るタイプで、当時としては珍しかったんです。動く歩道に乗って大水槽を一回りし、出口近くのお土産コーナーに近づくと、店員が二人、なにやら小声で話しているのが(もちろんオーストラリア訛りの英語で)聞こえてきました。正確には解りませんが、若い方の女性が 「あの人たち、中国人かしら?」 と年かさの女性に尋ねると、「違う違う、お金持ちの日本人よ。服装を見れば分かるでしょ。」 みたいなことで、当時のパースで日本人は未だ珍しかったようです。
水族館への往路、海沿いの道を80㎞/hぐらいで走っていると、道路脇の荒れ地にダチョウを小さくしたようなエミューがいて、ダーっと走り出してしばらく並走してくれました。
パースの動物園は、市街地から離れた丘の上にあって、数種類のおとなしそうな動物が園内で放し飼いになっていました。開園時間の少し前に着いたんですが、事務系の職員が来ていないようで時間になっても開かないし、他のお客もいない。30分ほど待っていると、1台の車が到着し、中から女性が3人降りてきて事務所へ向かって猛ダッシュ・・・。
やっとチケットを買って入口へ。入口は、水平の金属棒が90度ずつ縦にズラッと並んだものが回転扉のようになっていて、一人ずつ間に入って押して回すというものなんですが、そのすぐ先に人の背丈と同じぐらいのコイツが立ってる。で、こちらが入ろうとすると、反対側から出ようとする。
まあ、出られる訳はないんですけど、下手に首でも突っ込んで傷ついたら可哀そうだと思ったら、こちらも動けない。「シッ」 とか 「ドケッ」 とか言ってみたものの、状況は変わらず。ここでもまた10分ぐらい押し問答?したあげく、ようやく中へ・・・。
オーストラリアにはエミューの他にも有名な野生のカンガルーが多くいて、街中を外れると犬猫のようにチョクチョク見かけるそうです。このときも、郊外で 「カンガルー注意!」 の標識をいくつも見かけましたが、本物にはついぞ出会えませんでした。いや~、オーストラリアってワイルドだぜぇ~。
オーストラリアでレンタカーを借りてみて初めて気が付いたんですが、自分でハンドルを握って異国の道を走ってみると、その国との距離が急に近づくっていうか、その国が自分のものになった(大げさか?)ように思えてくるから不思議です。ツアーバスから見る景色とは異なる景色が間違いなく見えてきますので、機会があればお試しあれ。
余談が長くなりましたが、レンタカーの話はここまで。次回は、自家所有の三菱車の話です。
では、また。