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Channel: 村の模型屋のブログ
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鉄道模型 ㉟ : D51,D61(その3) 旅の想い出

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  昨日、お宝写真を見つけて喜んでいるところですが、アルバムに納まってメモも付けられている写真はごく僅かです。中学で知り合い、仲良くなった濃い鉄チャンの写真まで自分のもののようにフォトアルバムに納まっていて、それでも2冊。自分の写真としては1冊分がいいところで、あとはもう、袋や箱に突っ込んでいるだけという今と同じ状況・・・。
  昨日、発掘した箱の中には他にもお宝がありまして、'96年、'97年の2度にわたって行った英国オタクツアーの写真やら、イギリス土産の飛行機の画集やら、小池繁夫さんの画集やら、千葉に引っ越して以来、実に9年ぶりに再開したお宝がザクザク!。それと、篠山紀信撮影の衝撃作 ”Santa Fe” までも!。いや~、10代の宮沢りえチャン、可愛いくも妖艶で素晴らしいっす。
  ”Santa Fe” の写真を見たい方、そう、パソコンの前で鼻の下を伸ばしてるアナタ!。コメントいただければアップしますけど・・・。ナンチャッテ、無断でこれをやったら、絶対、著作権法違反ですよね。

  前置きが長くなりましたが、D51形の写真の続きなどを・・・。昨日、高島線の写真が出てきたので、これだけは追加しておきます。

イメージ 1
新鶴見機関区のD51-408,448

  南武線の鹿島田駅の近くに新鶴見操車場という大きなヤードがありまして、その一角に、高島貨物線のD51の塒(ねぐら)、新鶴見機関区がありました。今は、そのすぐ横をルートを変更した横須賀線が通っていて、ちょうど機関区があった辺りが 「新川崎」 という駅になっているようです。

イメージ 2

  この写真、当時の自信作で上手く撮れたと思ったんですが、こういう形式写真的なものは相応しくないと言われ、高校の文化祭には出品できず。でも、写真が残ってて良かった~。

  順番が前後しますが、次は中2の冬休み、宝塚の叔母の家にやっかいになりながらの関西日帰撮影行のときのもので、昭和46年(1971年)年明けの関西本線・加太(かぶと)越えのシーンです。

イメージ 3

  加太駅から中在家信号所方面へしばらく歩いたところで待っていると、D51牽引の貨物列車がやってきました。この路線も、D51の重連運転で有名だったんですが、正月早々(1月2日か3日)ということもあって貨物も減少しており、貨車の減車、列車の運休が相次いでいました。

イメージ 4
上の写真の列車が近づいて来ました。


イメージ 5

  こちらは、加太駅から反対に関方面に歩いたところで撮影した荷物列車です。緩いカーブを列車は軽やかに下っていきますが、気温が低いので蒸気の具合が芸術的?。でも、電柱が邪魔!。

イメージ 6

  上の写真の列車が近づいて来ます。そう、ここが狙っていたポイントです。この写真、私の蒸気機関車の写真の中でも一押しです。
  高校の写真展に出品したところ、年輩のお客様から 「汽笛の音を聞きながら、野山を駆け回っていた子供時代を想い出した」 「旅情が掻き立てられ、また旅に出たくなった」 というお褒めの言葉をいただきました。このとき、つまるところ写真とは、何らかの形で見る人の心を動かすことができるものだということを悟り、それ以降、深淵なる写真の世界にのめり込んでいきました。

  次の3枚は、昭和46年(1971年)、中3の夏に1日だけ訪れた関西本線での撮影です。

イメージ 8
早朝の亀山機関区にて

イメージ 9
亀山駅の側線を通過する貨物列車

イメージ 10
大型集煙装置と重油タンクを背負って加太越えに挑む(加太・中在家信号所間)

  次の写真をいつどこで撮ったのか覚えがなかったんですが、機関車の上部がひどく濡れていることから、1972年(昭和47年)夏、二度目の九州のついでに寄った小郡機関区での撮影と思います。

イメージ 7
土砂降りの雨の中、機関区のイベントでD51三重連の展示運転を行ったうちの一輌です。

  1形式最大の輌数を誇り、蒸気機関車の正規営業運転最後の日まで活躍していたD51ですから、我が家にも多くの写真がありましたが、これでようやく終わりです。
では、また。


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