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鉄道模型 ⑱ : 8620,C50,C56(その3)

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3.C56形
  C56は、比較的長距離で低規格の簡易線向けに C12から水槽と炭庫を外しテンダー式に設計しなおされたもので、テンダーの炭庫側面を大きく欠き取って後方視界を確保したスタイルが特徴です。旧・国鉄の前身、鉄道省向けとして、1935年(昭和10年)から1939年(昭和14年)までの間に160両が製造されました。

  C56は前回のC50とは逆で、写真はあるものの模型がないパターンです。2000年にマイクロエースから発売されたのは知っていましたが、例のC12同様、とてもナンチャッテな模型で買う気にはなりませんでした。その後、当ブログを始めた2012年にKATOからファインスケールの決定版()がリリースされていますが、その頃、鉄模熱はすっかり冷めていて露知らず・・・。

イメージ 4


  この写真は、鉄模の方でいつもお世話になっている 『Nゲージ蒸気機関車』 というサイト(http://www5a.biglobe.ne.jp/~toyoyasu/c56_3.htm)から拝借しました。先日、購入したC12同様、素晴らしい出来のようです(実機とは逆に、こちらがC12のご先祖様なので当たり前)。で、こちらも欲しくなって(また病気だ!)ネット検索してみましたが、影も形もなし。

  ここからは、想い出話です。


イメージ 1

  この写真をどこで撮ったのか記憶が定かでなく謎だったんですが、湯之尾温泉の看板を拡大してみると、下の方に 『山野線湯之尾駅下車、当駅より15分』 と書いてあることから、肥薩線と山野線の分岐点、栗野駅ではないかと思います。
  1988年1月末日に廃止された旧・国鉄山野線(鹿児島本線・水俣、肥薩線・栗野間 延長:55.7㎞)は、久木野・薩摩布計間にループ線(大川ループ)があったことで、昔の鉄チャン達にはよく知られていました。写真の駅、当初は肥薩線の吉松駅かと思いましたが、栗野・湯之尾間の距離が 6.6㎞であることから、この距離が 「当駅より15分」 に当たると考え、撮影場所を栗野駅と推測した次第です。
  それでは、この写真を撮ったのはいつかということですが、光線の具合から夏の九州であることは間違いありません。肥薩線撮影後は吉松で乗り換え、吉都線(肥薩線・吉松、日豊本線・都城間 延長:61.6㎞)の小林へ行き、国民宿舎に宿泊する予定でした。上の写真を撮った時間はというと、南西から北東に伸びる線路の方向と影の角度から見て、午後3時頃ではないかと推測しています。
  一方、鹿児島機関区でのハチロクの整備風景(前回の3枚目の写真)を見ると、これも人の影が長く伸びているので朝か夕方ということになり、栗野駅のC56とは同じ日ではないようです。40数年前のことで今となっては何の記録も残されておらず、記憶も相当曖昧なので、これ以上の推理は残念ながらできません。

イメージ 2

  2枚目のC56の写真は、あまりにも有名な小海線(中央線・小淵沢、しなの鉄道(旧・信越本線)・小諸間 延長:78.9㎞)の野辺山駅での一コマです。野辺山駅は、標高1345mのJR最高駅としても有名です。
  この写真は昭和45年(1970年)、中学2年の夏休みの終盤に、鉄チャン仲間と3人で小海線の撮影旅行に行ったときのものです。順序が前後しますが、この旅行が泊りがけ撮影行の最初でした。    
  信州は首都圏から近く、中央東線の沿線には、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳など日帰りで登山やハイキングを楽しめる山々が数多くあります。未だ中央高速もなかった1970年代は、新宿からハイカーや登山者のための夜行臨時列車が数多く出ていて、八ヶ岳山麓を走る小海線にも野辺山行の臨時快速列車 『八ヶ岳高原号』 がC56の牽引で運転されていました。
  我々の狙いは 『八ヶ岳高原号』 ではなく、盆休みの終わり頃から9月初旬にかけて、これと入れ替わりに運転されるキャベツ列車でした。八ヶ岳山麓の高原地帯はキャベツの産地で、夏の終わりに大量に出荷されるキャベツをC56牽引の臨時貨物列車で首都圏に運んでいました。1日1往復の 『八ヶ岳高原号』 よりも、1日数往復運転されるキャベツ列車の方が効率が良いという訳です。

  8月末のある日、我々3人は、寄せ集めの旧型客車をEF13が牽引する夜行臨時列車に乗り、翌朝、小淵沢で小海線の気動車に乗り換えて野辺山へと向かいました。野辺山では、標高1375mの国鉄最高地点付近と駅の周辺でC56を夢中になって追いかけましたが、写真の方はイマイチ・・・。今となっては、この1枚しか残っていません。
  この撮影行に持って行ったカメラといえば、父親から借りたミノルタSR-1(ミノルタSRシリーズの初代)と135㎜レンズのみ。それでも結構重量があり、コンパクトデジカメをポケットに突っ込んで、という現在のスタイルとは隔世の感があります。
  ミノルタカメラの一眼レフSR-1といえば、自動測光機能すらなく、ピントもシャッタースピードも露出も全て手動式。今のように、レンズを向けてシャッターさえ押せば、ピントも露出も修正も補正も全て自動でやってくれるというものとは全く異なります。カメラは露出計内蔵ではないので、別に小型の露出計(それでもガラケーより大きい)をポケットに忍ばせているんですが、いざとなったら勘に頼るしかない。これでは鉄道写真云々よりも、写真そのものを撮るのがやっとでした。

  初日、夢中になって蒸気機関車を追った後は、野辺山に泊まって翌日も昼過ぎまで撮影するんですが、宿泊費をケチってその晩は野宿!。夏といえども、標高が1345mもあるので夜になるとかなり冷え込んできます。初めは駅の待合室で寝ていたんですが列車がなくなると追い出され、仕方なく駅前の土産物屋の店先に置いてあるベンチでごろ寝(♪これじゃ体にゃ良いわきゃないよ~)。でも、私は山好きの父の入れ知恵で、バスタオルを1枚持って行ったので他の2人よりは快適でした。
  深夜、ふと目を覚ますと2人がいない!。月明かりの下、どこにいったのかと探すと駅の待合室に戻っていました。「なんで起こしてくれないんだよ~」 と文句を言うと、「よく寝てたんで起こすと悪いと思って・・・」 ですと。やっぱり、持つべきものは物知りの親。バスタオルは大正解でした。

  八ヶ岳高原は私自身大好きな場所で、小海線からC56が消えた後も幾度となく訪れています。しかし、野辺山駅に立ち寄ったことはなかったんですが、2004年8月20日、新車の慣らし運転がてらドライブに行った折、懐かしい野辺山駅に立ち寄りました。すると、駅前の土産物屋も未だに営業しており、店先のベンチもありましたよ。

イメージ 3
 
これは、そのとき撮った八ヶ岳山麓の夕景。すごいっしょ?。

では、また。


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