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鉄道模型 ⑩: 9600(その4)

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  あれよあれよと言う間に、鉄道模型の記事も10回目に突入してしまいました。今回は、キューロクの模型がらみで昔取った杵柄、じゃなくて昔撮った写真とエピソードなどをご紹介。

  もう40年以上前のこと、中学、高校、大学と 「撮り鉄」 に夢中になって全国を駆け巡っていました。その間に撮り貯めた鉄道写真のネガは100本以上。しかし、平成元年に東京・中野区の自宅を建て直した際、小さいサイズの写真と共に全て処分してしまいました。
 現在、手元に残っているのは、高校の写真部で文化祭用に引き伸ばした大判(半切)のものが、各形式合わせて数十枚あるのみ。それも長い間封印していましたが、今回引っ張り出してデジカメで撮影してみました。古い写真のリプリントですが見れないこともないんで、懐かしいキューロクの写真をご覧ください。

  以下の写真は、中3と高1の間の春休みに行った九州撮影行のときのもので、昭和46年頃。九州の春は曇天又は雨天が多く、写真もイマイチなものが多かった気がします。

イメージ 1
先ずは、雨上がりの後藤寺駅ホームに佇む79669。隣に入線しているのは、61系の鋼体化客車。

イメージ 2

 旧・国鉄田川線(現・平成筑豊鉄道田川線)の勾金(まがりかね)駅付近で撮影した石炭列車です。写真をよく見ると、20輌ほどの石炭車の列の後ろに、もう1輌機関車が付いて煙を上げているのがご覧いただけると思いますが、これも同じキューロクです。
  こういう編成を後部補機重連と言い、童謡にも歌われた 「機関車と機関車が前牽き後押し♪」という状態です。因みに、補機とは補助機関車のことで、先頭に立つのが本務機。編成や線区の状況によって前部補機重連と後部補機重連とを使い分けるようです。
  列車の先頭に2輌の蒸気機関車がつく前部補機重連は、迫力があって比較的写真も撮りやすいんですが、後部補機付きになると1枚の写真に2輌の機関車を入れることは至難の業で、よほど広い空間がないと困難です。
  このときは、国土地理院の1/50000 地形図を睨んでいたら、勾金駅付近で引込線がオーバークロスする場所があるのを発見。その築堤の上から撮ったのがこの写真で、なんとか2輌の機関車を入れることができました。

イメージ 3

  上の写真と同じ列車が引込線のオーバークロスを過ぎたところで撮影したもので、後部補機は一番上の写真と同じ79669。最初の後藤寺駅での写真は、おそらく、勾金での撮影を終えて後藤寺に戻ったとき、補機の任務を解かれたキューロクが入線していたものと思われます。

  余談ですが、2010年5月におんぼろライトエースワゴンで九州旅行に行ったとき、この地を訪ねてみたんです。でも、どこを探しても、引込線もオーバークロスも見当たらない・・・。
  元の駅舎が中華料理店になっていたので、昼飯時はとっくに過ぎていたけどラーメンでもすすりながら話を訊こうかと思ったら、店の中からものすごい怒鳴り声が聞こえてくる。どうも夫婦喧嘩の真っ最中のようでした。
  中華料理店での調査は無理なようなので、諦めて移動するかと思っていたら、駅に列車が到着して乗客が2,3人降りてきた。その中で一番高齢そうなオバアサンを呼び止めて、「40年近く前のことで恐縮ですが・・・」 と切り出すと、「自分は最近越してきたので、昔のことは解らん」 とのこと。歳とってるからといって、そこに昔から住んでいるとは限らないんだな・・・。
  まあ、遠くに廃工場風のものが見えたので、そこへの引込線だったものが工場の閉鎖と共にオーバークロスの築堤ごと撤去されたのだろう、と勝手に解釈して次の目的地へ・・・。

イメージ 4

  こちらは、熊本から阿蘇の裾野を巡って別府、大分へ至る豊肥本線の立野駅付近で撮った写真です。ここには、鉄道マニア垂涎の的である三段式スイッチバックがあります。スイッチバックにはいくつかの種類がありますが、これは、急勾配を伴う地形における折り返し式線路で、Z型に敷かれた線路を前進、後退を繰り返してジグザグに勾配を登るというものです。
  この写真は、熊本からやって来た列車がスイッチバックを抜け、三段目(一番上)の線路を大分方面へ向かっているものです。バックに写っている棚田の畔は水平に築かれているので、結構、勾配があることがお解りいただけると思います。機関車の方は、キャブ下に2つの点検口を持つ九州タイプの特徴が見てとれます。

  因みに、九州の中央部に位置する阿蘇山は、外輪山と数個の中央火口丘から成り、外輪山は南北25km、東西18kmに及び、世界最大級の面積380㎢の広大なカルデラ地形(鍋型)を形成しています。立野は外輪山の西側の麓に当たる場所で、豊肥本線はこの外輪山を越えるために三段式スイッチバックを設けています。また、東側(大分側)の外輪山は、10個ほどのトンネルで越えています。

イメージ 5

  そしてこの写真は、やはり熊本方面から来た別の列車が二段目の線路をバックで登って行くところです。キャブ下の点検口に加えて門鉄デフも装備しており、九州タイプの特徴満載といったところ。
  不思議なことに、このタイプのモデルはNゲージのキューロクには今のところ存在しません。九州タイプと銘打ったキューロクをリリースしているんですから、マイクロエースさんでこれも出してくれませんかね~?。

  この九州撮影行では、忘れもしないエピソードがありまして・・・。
  豊肥本線の撮影が終わった後のことだと思いますが、宿代をケチって夜行列車の乗継・折り返しをしたんです。当時、日豊本線には門司港・宮崎間に夜行の普通列車が走っていました。上り下りに同じ列車が走っているので、上下の列車は夜中にどこかですれ違うんです。
  で、すれ違いポイントの前にある駅で降り、反対から来る列車に乗り替えて車中泊すれば、朝には前の晩にいた場所に戻れるという寸法です。これは、停車駅の多い夜行普通列車だからできる裏技で、夜間はほとんど停車しない特急・急行では無理な話。
  当時は未だ石炭産業が盛んで、北九州は蒸気機関車の宝庫だったこともあり、北九州近辺で2,3日うろつきたいのはもっともな話。そこで、この暴挙にでた訳ですが、夜中の乗り換えの際、同好の氏と思しき男がいて色々話をすると、彼はこの裏技はもちろん、件の列車で北九州と宮崎を行ったり来たりして宿代を浮かせながら写真を撮っているとのこと。
  翌朝、彼と門司港で別れ、凄い奴もいるもんだと思いながら東京へ戻ると、間もなく都立高校の入学式。入学して1週間も経たないうち、学校の階段の途中で 「お前、先週、門司港にいたろ」 と呼び止める声がして振り向くと、九州で出会った彼とバッタリ・・・。「あぁっ!、えぇっ!」 と叫びながら再開を喜び合いましたが、こんな奇跡のようなこともあるんですね。

  という訳で、不鮮明で恐縮ですが、懐かしい写真とエピソードをご紹介いたしました。

では、また。


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