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Channel: 村の模型屋のブログ
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映画 "FURY" を観て

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 今日は木曜日、近くのイオンシネマはメンズデー(男性のみ 1,100円)なので、先々週から公開されている映画 "FURY" を観に行きました。3時からの回に間に合うよう10分前に到着し、受付嬢に客の入りを訊くと 「まだ、誰もお見えになっていません」 との答え。平日の真っ昼間だから、お客は少ないだろうとは思っていましたが、昨年の 「風立ちぬ」 に続き、130余名収容のホールを独り占め。貸切状態で映画を堪能できて嬉しい反面、「田舎とはいえ、これでやっていけるのか?」 という心配も頭を過(よぎ)ります。

 本編が始まって直ぐに感じたのが、「ブラッド・ピットも老けたな~(笑)」 ということ。でも、歳を喰って、ますますイイ男になってきた。
 プラピ演じるウォーダディー軍曹(戦車長)が自分の感情を抑えて冷静沈着なチームリーダーたらんとするところ、プライベートライアンのミラー大尉(トム・ハンクス)と似ていて好感が持てる。血で血を洗う凄惨な戦場に、およそ場違いな文系の新兵が補充されてきて、これが物語のもう一つの軸となるところもプライベートライアンに良く似ている。これ以上、映画の内容をバラすとお叱りを受けそうなので、この辺で止めておきます。

 ブロ友、戦車大好きさんの記事に、「凄惨な殺戮シーンが当たり前のように織り込まれ、観終わってドヨ~ンとした重い気持ちになった」 と書かれていますが、それは私も同感。プライベートライアンの頃から、血生臭く凄惨な戦闘シーンが描かれるようになったようであるが、ここは意見の分かれるところと思う。
 戦争を決して美化してはならない、戦争映画をエンターテインメントにしてはならないという持論から、私はこの流れを肯定する。正義の戦いだの聖戦だのと御託を並べたてても、詰まるところ戦争は人と人との殺し合いでしかないのだから、それを正面から描くことは間違いではない。決して絵空事ではなく、今、この瞬間にも存在する真実として、戦争の凄惨さを受け入れることは必要と思う。

 原始時代には狩りの獲物の奪い合い、農耕を営むようになってからは、より良い農地の奪い合いから争い事が起き、隣人同士の口げんかに始まって終いには棍棒(こんぼう)での殴り合い、石礫(つぶて)の投げ合いに発展する。現代の戦争も、棍棒や石礫がミサイルや砲弾に取って代わっただけ。いかにハイテク兵器といえども、軍艦も、軍用機も、戦車も、その石礫をできるだけ相手の近くまで運び、必中の距離で投げつけるためだけの道具にすぎない。
 未来永劫、人と人、地域と地域、民族と民族、国と国との争い事が避けられないとしても、人間同士が殺し合う戦争だけは避けなければならない。国際紛争は何が何でも外交で解決すべきで、それに伴ってスパイ戦やサイバー攻撃、経済戦争といったものがあっても、それは致し方なし。人と人が殺し合う戦争よりは、なんぼもまし。

 本物の、しかも70年も前の戦車が実際に走り回り敵と渡り合う "FURY" という映画は、戦車大好き人間にとってはこの上ないものだが、一方で、人間同士が殺し合うことの凄惨さ、やりきれなさ、虚しさ、といった戦争の本質を考えさせてくれる秀逸な作品。繰り返し鑑賞したくなる一作だと私は思う。

では、また。

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